弁護士9条の会・おおた
「これがいいたい!」一人一言
憲法20条3項改定案について思うこと
笹山 尚人
 1,伝統に必要な時間とは?
  歌舞伎でも、なんでもいい。みなさんは、「伝統」と呼ばれるものが、「伝統」たりうるためには、どれくらいの時間が必要だとおもわれるだろうか。それが、とりわけ、社会全体の「伝統」、たり得るためには。
  自民党の人たちは、靖国神社に参拝することを、日本の伝統行事としてとらえたがる。2004年1月1日、小泉純一郎首相は、「初詣」と称して、靖国神社に参拝した。これなどは、初詣という国民的行事と結びつけるあたり、極めて恣意的だ。しかし、よく考えてみよう。靖国神社に参拝することは、日本人にとって、伝統的な出来事か?
  石原慎太郎都知事は、よく、靖国神社に参拝するとき、「靖国神社は、日本人のDNA」という言い方をする。DNAというと、人の組成をなすもの。とすれば、人類誕生のころからのものということになる。人類の歴史は200万年。まさかそんなに古いものというつもりはないのだろうけれど、たぶん、それくらい古いもの、日本人が、日本人になったくらいの昔から、靖国神社に参拝することは当然に行われてきた、それくらい日本人にとって自然なことだ、と彼はこう言いたいのだろう。
  これくらい古ければ、さすがに、日本人の伝統と見て良いのかもしれない。
  しかし、靖国神社の歴史は、そんなに古くない。靖国神社が東京招魂社として創立されたのは1869年のこと。実に、靖国神社の歴史とは、現在までみても、たったの137年しかない。日本という歴史のスパンで考えてみると、案外短い歴史しか持っていないのだ。
  私は、小泉首相、石原東京都知事の靖国神社参拝が憲法20条3項の政教分離原則に違反するということを訴える訴訟の原告代理人の仕事をしている。だから、靖国神社のことは、ひととおりは勉強したつもりである。それで、こういうことを知っている。
  物知りついでにもう一言言わせてもらうと、靖国神社は、日本全国のあちこちに点在している神社とは歴史も性格も全然違うものである。我々が近所の神社にお参りに行く際の神社というところは、大抵の場合、それこそ菅原道真の昔から、神々の集まる場所として信仰を集めてきた。だから民衆にも地域の社として定着している。しかし、靖国神社の場合は、明治維新の後、明治政府のために闘って死んだ軍人を祀るために、明治政府によって新たに設立されたもの。神社としては新参者なのだ。
  このように見ると、靖国神社と、私たちが近所にお参りに行く神社とは、全然別物と考えておいたほうが、事態を正確にとらえることができる。

2,憲法20条3項の改定案の意味
  自民党は、靖国神社に参拝することを、日本人の伝統行事ということにして、国が靖国神社と関わりを持っても大丈夫なようにすることを思いついた。それが、自民党が新憲法草案で発表した憲法20条3項の案である。
  「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」
  要するに、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」であれば、宗教的行為をしても良い、ということである。この規定が実現すれば、靖国神社に参拝することは、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」内の行為だから許される、ということになる。
  というか、この規定は、そのためだけに作られたと言っても過言ではない。憲法20条3項の案は、靖国神社に参拝することを合憲化することだけが目的なのだ。
  このことは、靖国神社参拝違憲訴訟を担当していたおかげで、よく理解できる。確かに、そうならざるを得ないのだ。なんとも面白い、痛快な出来事なのだ。みなさんにも、ぜひこのことを知ってもらいたい。

3,靖国神社の役割
  そのためには、まず、靖国神社の果たす、役割を知る必要がある。
  それを知るのに最も適した素材は、福沢諭吉が主宰していた、新聞「時事新報」の1895年11月14日付の論説、「戦死者の大祭典を挙行すべし」である。日清戦争の直後に出されたこの論説が言っているのは、大要、こういうことだ。「戦争で活躍した軍人がよくやったと讃えられているが、戦死した者に対しては、その者にも、遺族にもなんの国からの恩賞もない。それはまずい。いざというとき、国を守るのは、何か。最後の最後に頼れるのは、国のために死ぬことをいとわぬ精神を持つ国民である。そのためには、戦死した者とその遺族に報いることを十分にしなければならない。天皇は、戦死した者をお祀りする式典を挙行すべきだ。」
  靖国の論理とは、この文章に全てあらわれている。大事なことは、戦争に従軍する人にとっては、その人自身がそのことによって感謝され、残された家族が安心して暮らせる環境が必要だということだ。なんと言っても生命をかけるのだから。
  靖国の役割とは、戦没者を誉め称えることによって、戦争に安心して参加できる国民精神をつくることである。
  靖国神社は、今日に至るまで、教義を変えたことはない。だから、靖国神社のこの性格は、現在に至るまで、ずっと同じに維持されている。

4,靖国神社をめぐる袋小路
  さて、自民党は、どうも、戦争をしたいらしい。そうでなければ憲法を変える必要がない。今の憲法下でも、自衛隊は、海外に行って「活躍」している。憲法9条を変える必要性は、今の自衛隊に出来ないこと、つまり、じかに武力を行使すること以外にない。
  戦争をするとなると、やはり、靖国神社の果たす役割が、またぞろ必要になってくる。自衛隊の人が、たとえ、戦地で死亡しても、きちんとその人の霊を祀り、感謝を捧げ、遺族にも報いる、というわけだ。
  そこで靖国神社の再活用である。戦後は、国営化を離れ(靖国神社は、GHQの命令によって解体されるまで、旧陸軍省、海軍省という軍隊の役所に管理される国営施設だった。)、一宗教法人の地位におとしめられた。今こそ、再び護国の総本山としての栄誉を得るチャンス。
  しかし、そういう役割で靖国神社を前面に押し立てようとて、そうは問屋が卸さない。中国、韓国をはじめとする、アジア諸国が、侵略のシンボルであった靖国神社の積極活用を認めない。靖国神社の積極的活用は、国際問題になってしまうから、自民党も二の足を踏む。
  では、中国、韓国がもっとも問題にしているA級戦犯だけ、分祀する、つまり、お祀りする対象からはずしてしまえばいいではないか、それなら、中韓の反発を買わず靖国神社を活用できるではないか、そういう意見もある。
  しかし、これは、靖国神社の側の同意が得られない。一度お祀りした方は、皆神様になっている。神様を地上の者の都合で祀ったり祀らなかったりすることはできない、というわけだ。なるほど。そりゃ、そうだわな。
  そこで、それなら、もう、戦争遂行のためのソフトウェアとしての機能を、靖国神社に期待するのはあきらめる。替わりに、新しい戦没者追悼施設を作れば良いではないか、という意見が出てくる。福田官房長官(当時)の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が2001年に設置され、そのような報告書を2002年12月24日に発表している。これが国立追悼施設問題である。
  しかし、この国立追悼施設問題は、与党自身の中から、反発が出てくる。なんと言っても、天皇を中心として、家族単位で、日本社会の統合を考えていく、このようなかつての社会統合のイデオロギーは、未だに強烈に根強いており、それは、自民党自身を深く支配している。
  かくして、自民党は、戦争をしたくても、国民をそれに駆り立てるソフトウェアとしての機能を、いったいどこの機関にどのように付与したら良いのか隘路に落ち込む結果となる。どうしよう?
  かろうじて、なし得ているのが、靖国神社に、首相が参拝する、ということなのである。戦没者に感謝を捧げるとしながら、同じように戦争で亡くなる者が今後あらわれても、その人に感謝を捧げ、報いるように頑張る、という無言のアピールをしているのだ。

5,靖国神社参拝の違憲性
  ところが、この首相の靖国神社の参拝を、憲法適合性という見地で検討すると大問題になる。なぜかといえば、政教分離原則違反か否かという問題を立てると、これは必ず違憲になってしまう、からである。
  国の行為が政教分離原則違反になるかならないかということを判断するための基準としては、いくつかの考え方がある。その中でも、現在、最高裁判所が採用している目的・効果基準と言われる考え方は、政治と宗教との関わり合いを認めやすい、政教分離原則からすれば最も甘い基準とされている。この最高裁判所の考え方を適用しても、首相の靖国神社の参拝は、政教分離原則違反と判断されざるを得ないのである。
  現に私たちが担当している靖国神社参拝違憲訴訟は全国でたたかわれ、2006年3月現在、地裁・高裁あわせて12の判決が出ているが、参拝を合憲とした判断はただの一つもない。福岡地裁、大阪高裁の判決では、参拝は違憲との判断が出ている。その他の判決は、憲法判断自体をしなかったのだ。
  このように見てくると、改憲案の意味がわかる。自民党にとって、戦争のためのソフトウェアの準備に苦労しているときに、かろうじて行えている靖国神社参拝まで、違憲では困るのだ。現行憲法のままで、違憲だと言われるのであれば、それは、憲法を変えるしかないではないか。
  憲法20条3項の改定というのは、実はそのような意味なのだ。

6,20条3項の案についての感想
  そういうことだから、私が、この20条3項についての案を見て思うのは、大変身勝手な提案だな、ということ。人権条項というのは、国民一人一人が活用して自分の幸せにつなげるためのもの。だから、国民のために役に立つ改正ならそれは評価できる。しかし、今回のこの提案は、国民にとっては何の役にも立たない。自民党が、首相を出したとき、靖国参拝を安心して行いたいだけのことなのだ。
  というわけで、私ははっきり言って気にくわない。こんな改定は、さっさと引っ込めるべきだし、私たち国民はこれを拒否すべきだ。
  自民党は、伝統という言葉が好きだ。今般出てきた教育基本法の「改正」案でも、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する」ときた。自分たちに都合のいいイデオロギーはなんでも「伝統」にしたがる。
  しかし、冒頭見たように、彼らが言う伝統なるものの実体は、たいていは怪しい。せいぜいが、明治憲法下から作られた制度のものが多い。
  私たちは、何が正しいことなのか、眉につばして、しっかりと見据えていく必要がある。

以上


←「これがいいたい!」一人一言トップへ戻る
弁護士9条の会・おおたのアピール
活動紹介
弁護士9条の会・おおたの企画紹介
「これがいいたい!」一人一言
憲法についてのQ&A
大田区における9条の会の活動
学習参考文献など
映画で考える「平和」
自民党新憲法草案批判