弁護士9条の会・おおた
自民党新憲法草案批判
人権
06.1.16 文責:海部幸造

第3章 国民の権利及び義務

1、「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に置き換え(12条、13条、29条)
(1)日本国憲法の「公共の福祉」は、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理と解されてきた。「新憲法草案」は、これを「公益および公の秩序」に置き換えている。
(2)この置き換えについて、「自民党憲法草案大綱」(2004.11.17)では、「この『公共の価値』による人権制約は、学会における通説的理解である『人権擁護の場面』だけでなくて、『国家・社会の安全健全な発展』の為にも許容されることを明確に(する)」とし、また、第1次素案(2004.7.7)では、「『公共の福祉』の概念は曖昧である。個人の権利を相互に調整する概念として、または生活共同体として国家の安全と社会秩序を維持する概念として明確に記述すべき」とされていた。ここからもこの置き換えの意図は明確である。
  すなわち、日本国憲法の「公共の福祉」とは各人の基本的人権相互が衝突する場合の調整を意味していると解されている。フランス人権宣言(1789年)も、「自由とは、他人を害しないすべてのことをなし得ることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。」(第4条)と規定している。「草案」の「公益および公の秩序」への置き換えは、こうした他の人権との調整の場面だけでなく、国家あるいは時の為政者により「公益」「公の秩序」と判断された基準により人権の制約することを可能とするものである。それは、多数決によっても侵すことを許されないとされる基本的人権保障を根底から危うくするものである。
  近代立憲主義の思想は、基本的人権の保障のために国家権力を制約するところにあり、それ故にフランス人権宣言は上記のように明確な規定をおいたのであるが、これを覆している点で、この「置き換え」は、近代立憲主義の原理を否定するものであるといえる。
  さらに具体的に「新憲法草案」の内容に即してみると、同「草案」は、日本国憲法が前文および9条2項に定めた平和的生存権や非武装平和の原理をすべて削除し、代わりに「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感を持って自ら支える責務を共有し」(前文)と愛国心および国防の責務を規定し、9条の2を新設して自衛軍とその活動、国際協調軍事活動、国家緊急事態における活動を規定するなど軍事優先国家への転換をはかっているのであって、「草案」においてはこうした内容こそが「公益」「公の秩序」として提示されていることが重要である。
  すなわち、「新憲法草案」における基本的人権の保障は、こうした「国や社会を愛情と責任感を持って自ら支える責務」や軍事優先の内容を持つ「公益」や「公の秩序」の制約の下での「保障」でしかありえないのであって、日本国憲法における基本的人権保障とは、その質を全く異にするものとなっている。

2、12条 (変更)(上記「1」に加えて)
(1)「草案」は、タイトルを「国民の責務」とし、上述のように「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に置き換えるほか、「事由及び権利は責任及び義務が伴うことを自覚しつつ」を挿入し、日本国憲法が「責任」としていた文言を「責務」と書き換えた。
(2)もともと本条前段の「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」との規定は、(国民は、先祖が権力との闘いの中から勝ち取ってくれたこれら《自由・権利の保障》の遺産の上に眠ってはならないのであって、国家機関によってその権利・自由が侵害されることがないよう努力しなければならない)の意味あいである。後段はそれを受けて、「国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」としている。そこでの「濫用」とは、自由や権利を憲法がそれらを保障した目的以外の目的のために使うことをいい、本条は、消極的に濫用を禁ずるだけでなく積極的に「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定したものとされている(「全訂 日本国憲法」)。そこにおける「責任」とは、「自由および権利」についての上記(2)の観点から、国民に道徳的に努力を求めるものである。
  しかし、「草案」は、この後段に「自由及び権利は責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、」を挿入し、上記のように「常に公益及び公の秩序に反しないように」とした上で更に「責任」の語をより法的な拘束力を意味する「責務」に置き換えている。しかも「国民の責務」とのタイトルを付けた。こうしたことにより、本条項は、本来の、自由と権利の由来とそれをその保持のための努力の必要性の訴えという意味から、国家が国民の基本的人権を制約しうる原理を指し示すものへと大きく変質させられているのである。

3、14条、44条(変更)
(1)「障害の有無」を挿入。
(2)言わずもがなのことであり、挿入して悪くはないが、現憲法の規定でもなんら支障はない。

4、19条の2の1項(新設) 
(1)「何人も、自己に関する情報を不当に取得され、保有され、又は利用されない。」を新らしく規定する。
(2)プライバシーの権利は現在、13条(幸福追求権)から導かれており、通説的に、「自己に関する情報をコントロールする権利」として理解されている。しかし、「草案」の本条項はこの本質的内容を規定しておらず、人権保障としての実質を欠く極めて不十分なものでしかない。この点でこの規定はリップサービスでしかないばかりか、むしろ上記の内容では、現在のプライバシーの権利の内容ををかえって後退させることになり、さらに場合によっては、表現の自由の制限根拠として、本来あるべき以上に広く利用される危険性すらはらむものである。

5、19条の2の2項(移設)
(1)「通信に秘密は、これを侵してはならない。」
(2)現憲法21条2項後段(前段は検閲の禁止)に全く同じ規定がされている。「個人情報」ということでここにまとめたもの。

6、20条3項(変更)
(1)「国及び公共団体は、社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」と前文を書き直している。
(2) 現憲法の「国及びその機関は」を「国及び公共団体は」とした。これは問題はない。
     問題は、「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超え」ないもので、「宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなもの」(津地鎮祭最高裁判決の文言をそのまま使用)でなければ宗教的活動を行っても良い、と「国及び公共団体」の宗教活動禁止(政教分離原則)を緩和した点である。首相等の靖国公式参拝等を合憲とするための措置である。
  9条2項の改悪と連動するものであり、海外派兵される「自衛軍」の戦死者を「英霊」として靖国神社に祭り、そこに天皇が参拝することへも道を開くことになる。

7、21条の2(新設)
(1)「国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。」
(2)国民の権利として規定されてはおらず、そうした「国民の権利に対応する国の責務」との構成になっていない。従ってここにおける国の「説明する責務」とは、国民に何をどこまで説明するかはかは国の裁量とされる可能性が高い。この点で権利保障の実質のないリップサービスに過ぎない。

7、22条(変更)
(1)現行憲法の「公共の福祉に反しない限り、」を削除。
(2)上記 1 にもかかわらず、本条項については「公共の福祉」による制限を削除した。
  22条における「公共の福祉に反しない限り、」の制約文言は、(12条、13条の人権総論的規定の他には)各論条項としては本条と29条のみに規定されたものであり、こうした規定が特になされた意味は、22条、29条などの経済的基本的人権については、他の基本的人権における「公共の福祉」の原理(自由国家的公共の福祉)をこえて、生存権を代表とする社会権を実質的に保障するために必要な限度において、国家権力による介入ないし干渉が是認される趣旨とされてきた(「全訂 日本国憲法」198-203頁)。職業選択の自由には営業の自由を含み、その社会国家的制限の問題として、判例の上でも、公衆浴場法の規制等いくつもの問題について判例が残されてきた。
  こうした意味を持つ本条項の「公共の福祉」制限の削除は、社会権の保障のための様々規制を緩和、あるいは撤廃する、いわゆる新自由主義的規制緩和路線の更なる強行を宣言するものである。

8、25条の2(新設)
(1)「国の環境保全の責務」として、「国は、国民が良好な環境の恵沢を享受することができるようにその保全に努めなければならない。」と規定する。
(2)これも「草案」21条の2と同様、国民の権利として規定されているものではなく、その国が「努めなければならない」中身は、国の裁量とされる可能性が高い。 権利保障の実質のないリップサービスに過ぎない。

9、25条の3(新設)
(1)「犯罪被害者は、その尊厳にふさわしい処遇を受ける権利を有する。」を新設しようと言う。
(2)しかし、これも13条で保障しうるものであり、現に2004年に犯罪被害者等基本法が制定されている。特にこのために改憲を要するものでは全くない。

10、29条2項(変更)(上記「1」に加えて)
(1)後段に「この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上及び活力ある社会の実現に留意しなければならない。」が追加されている。
(2)この点について、「大綱」では、「財産権の保障とその限界(及び知的財産権の保護)」として、財産権保障について「その行使は公共の価値に適合するようにしなければならない」として「*公共の価値による制約をより強化した形で手直し」をはかり、知的財産権については「*知的財産権の保護・・・その権利性の側面を強調するのではなくて、国に対する制度的保障としての義務の面から規定」するとしている。ここからすると、知的財産権の内容、保障について法律で定める際に、一方で財産上の権利として保障しつつ、他方で企業がこれを活用するうえで、大きな制約(たとえば近年の社員による企業に対する特許権の主張等)を受けることがないように法制度上配慮しようという趣旨と推測される。 



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